善く生きるということ

古代ギリシアの哲人、アリストテレスの言葉に「善く生きる」ということばがでてくる。善く生きるとは、幸せに生きるとか美しく生きるとかの意味があるが、歯科的に考えるとどういうことなのだろう。

私は45年以上歯科に関わりを持ち、多くの患者さんを診てきたが、90歳以上の患者さんも多く、「善く生きる」と言う事を歯科医師の観点から考察してみたい。

75歳の後期高齢者の検診で、初めて歯科医院に来院される方も稀にいるが歯科的に健康な方は、歯磨きはよくできているが、歯石も結構ついている。しかし歯周病は進行しておらず、今までのブラッシングで十分であることが解る。よって歯石除去も勧めない。逆に歯石を取ってしまうと今までの口腔環境が変わり、ブラッシングも変える必要がある。歯周病専門医や大学の偉い先生方は、歯石を取って、そのあとのメンテナンスにいろいろな薬を進めるが、現在まで自分なりにいい健康状態を保っている人には無意味なことである。

歯科的に見ると「善く生きる」とは生まれてから一回も歯科医のお世話にならず、死ぬまで自分の歯でものを噛んで健康に生きることと思われるが、なかなか難しい、しかし歯科医よりある知識を教えてもらい忠実に実行すれば、それほど難しいことではない。食事をすれば食物残渣が残り、糖分を含んでいる飲み物では口の中が酸性となる。食物残渣がプラークとなる前にすっかり取り除き、口の中が酸性になる前にうがいをする。ただそれだけのことである。

 多くの製薬会社や歯科専門業者が販売している、歯に良い歯磨剤とか洗口液などは一切使わないのがいいだろう、ましてホワイトニングなどと言って、漂白剤を歯に塗ったりレーザーを当てたりすることは、賢い人はしないだろう。人間が取り入れたことのない化学薬品などを使った評価は、4,50年経たないといいとも悪いとも言えない、30年ぐらい前に歯科で当たり前に使われていた材料アマルガムは、現在使う先生はいないどころか、患者に詰められているとひどく嫌なものである、ましてそれを取り外す時は水銀蒸気が出るので、完全防備で行わなければいけない。

歯科の大学教授や学会のえらい先生と思しき人が、評価の定まらない薬品を、平気で勧めている姿を見ると残念な気持ちになる。評価が定まらないとはどう言うことか、つまりある薬品を1000人に使い999人が異常なくても、一人に副作用が出ると事は、よくあることであり、しかも10年ぐらい使ってから出るものもある。厚生労働省が出しているドラッグセイフティと言う書物が毎月届くが、20年以上使われている薬品でも、新たな副作用が載せられ、使用してはいけない人の情報が記載されている。つまり使わなくていい薬品は、安全だと言われても極力使わないようにしたほうがいい、ただしこの薬品を使わなければ生命の危険があるとか障害を残したりする場合を除いてのことである。

私は歯科医師になってから一切の歯磨剤や洗口液、フッ素など自分の口に入れたことはないし、歯石もとったことはない。しかし自分の歯で食事するのになんら不自由はない。

現在多くの人は原因のわからないアレルギーや病に侵され日々苦しんでいる、介護が必要な人も大勢いる。

アリストテレスの言葉に「賢者は快楽よりも苦痛なき事を追求する」と言う言葉があるがまさにこの事だろう。

私自身も自己免疫疾患というアレルギーで苦しんでいるが、これだけ多くの化学薬品がスーパーで売られている食品に使われている現在ではやむを得ない事だろう。

私は60歳を過ぎる頃から非常に多くの体の不調に悩まされてきた、その時出会ったのがダニエルリーバーマンの書いた「人体600万年史」だ。この本にはわたしたち現代の人間がいかにしてこのような体に出来上がったか、どのようなものを食べていたか、病というのは何万年前から出てきたのか、その原因、その他諸々のことが書いてある。なぜ人間が集団を作るか、集団を作るとどのような問題が発生するか、問題を解決するにはどのような行動をしてきたか、全てのヒントが書いてある。

わたしたちが善い人生を送るには、なるべく病院や歯科医院などに近づかないほうがいいだろう。ただし現代の人はあまりにも昔の人と食べるものや環境、行動様式が異なっている。それが原因で不調が起きる、そんな時はあまり治療に積極的でない病院や歯科医院の先生を選んで相談するのがいだろう、そして聞くことは治療の方法ではなく、「何が原因でこうなったのか?」ということだ。私も多くの病院にかかったことはあるが、原因を教えてくれる先生は僅かだ。一般には検査をして薬を出すだけだ。歯科医院の場合はそれに加えて高額な治療が勧められるだろう、いくらお金を出しても、原因を理解し、病気にならないような努力をしない人はまた繰り返す。

私が善い人生と思うのは、どれだけ長く生きるかではなくて、いかに苦しまずに生きて、いかに苦しまずに死ぬか、この2点が達成された人は善い人生を送ったと言えるだろう。